裏磐梯年代記(うらばんだいクロニクル)に掲載している資料の著者紹介です
※五十音順

阿部 國男(あべ くにお)*阿部 久仁於名義のことも

1928(昭和3)年1月10日生まれ。昭和59年まで小学校教員を務めるかたわら北塩原村郷土史研究会に所属し精力的に執筆活動を行った。昭和46年からは裏磐梯在住の学童のために自宅を一部開放し、地域図書館「ひまわり図書館」を運営した。

新井 徹(あらい とおる)

NPO法人裏磐梯エコツーリズム協会副会長。北塩原村郷土史研究会会友。主たる研究テーマは村の近現代産業遺産に関してで、ペンション経営のかたわら村内の遺構踏査に余念のない日々。

伊藤 延廣(いとう のぶひろ)

東京都出身。日産自動車に勤務しロケット開発に携わっていたが1978年7月、裏磐梯に移住。エコガイドの草分けとして活躍した。2007年に「裏磐梯の自然や歴史文化などの観光資源の持続的な利用のため」裏磐梯エコツーリズム協会を設立した。

大竹 繁(おおたけ しげる)

北塩原村郷土史研究会会友。「木地師の里」である早稲沢の出身者として、若いころの生業であった木地挽きの経験をもとに、晩年は桧原の最後の木地師のひとりとして、テレビなど多くのメディアに出演された語り部。

加藤 紘一(かとう こういち)

昭和19年生まれ。東京での9年間の小学校教員生活を振り出しに、故郷の会津でも教員・校長として多くの子供たちと関わり、特に故郷の歴史や先人たちの業績について子供たちが興味を持てるように努めた。退職後の平成21年からは、環境省パークボランティアとして自然の保全活動、阿賀川・川の達人の会、一般社団法人「食環境改善機構」等にも関わっている。

著作:「-先人に学ぼう- 語り継ぎたいふるさとの話」第1集~第9集(おもはん社)

金森 徹雄(かなもり てつお)

1914年生まれ。昭和23年、33歳の時に前橋営林局猪苗代営林署長に着任。任期中管区内の桧原村住民と交流を深め、山葡萄液の商品化・天然氷の販売・ウルシの栽培といった様々な地域振興策を村民とともに試みた。昭和24年に北塩原村ゆかりの政治家・大竹作摩氏を通じて交渉し、桧原湖に初めてワカサギ(卵三百万粒)を放流した。村は昭和53年に改めて金森氏に表彰状(特別功労褒章)と感謝状を贈呈している。写真は福島民報・朝刊記事(平成8年5月2日)より

佐藤 薫(さとう かおる)

北塩原村郷土史研究会会友。

鈴木 圭長(すずき けいちょう)

北塩原村大塩出身。十代の頃は有線通信士として米沢郵便局勤務、戦後の昭和二十年代は役場職員など。北塩原村郷土史研究会発足時からのメンバーで二代目の会長(会報3号~10号発刊までの期間)を務めた。明治帝と会津藩松平公に葵の紋の型で焼き固めた会津山塩(やまじお)を献上した五十嵐小平氏(北塩原村大久保)がお礼として賜った松平公の直筆の書は、後に圭長氏が譲り受け保管しているとのことである。

高橋 真希(たかはし まき)

埼玉県浦和市出身。短大卒業後、植生調査会社(環境アセスメント)勤務を経て、平成八年に裏磐梯へ。新しいタイプの「いなかぐらし」志向の移住者の草分けとして、チャレンジングな日々を「うらばんだいあそび」の名で情報発信し多くのファンを得た。平成二十五年、病没。享年四十五歳。