/ 最終更新日時 : eco001 学校学校発展史 阿部 國男(久仁於) 一 はじめに これまでの裏磐梯(北塩原村)には、九つの分校がありました。規模小さな校舎でした。学校とはいえ板囲いの小屋とでも言った方がいいような、お粗末な校舎でした。各集落毎にありましたから、地域 […]
/ 最終更新日時 : eco001 地名裏磐梯の地名 阿部 國男(久仁於) 「剣ヶ峯」は広い区画を指し、「吐出」とは小野川湖の水門のあたりをいう。「剣ヶ峯」とは、噴火前の地形で鋭く尖った峯があった、と本で読んだ記憶があるがはっきりしない。 「吐出」とは、いつの頃から名づけ […]
/ 最終更新日時 : eco001 学校エッセイ「里山の分教場」 阿部 久仁於 阿部久仁於さんによる「消えた『昭和』」と題されたエッセイの第八章に昭和の裏磐梯の分教場の様子がいきいきと描写されていました。久仁於さんの労作『学校発展史』の内容を補足するものとして掲載いたします。 八.里 […]
/ 最終更新日時 : eco001 開拓時代開拓民が語った裏磐梯開拓史 『峠のみち』第19号に「裏磐梯開拓の今昔 親の背に学ぶ親の愛情と子の思い」という阿部久仁於さんの記事が収録されていました。昭和六十年に録音された、裏磐梯中学校の課外学習の成果物と思しき録音テープから文字起こしされた文章が […]
/ 最終更新日時 : eco001 ジュンサイ裏磐梯はジュンサイの里 阿部 國男(久仁於) ここが開拓地であったと思えない変わりようである。クリーピングタイムにラベンダーなど色とりどりのハーブを栽培し収穫に忙しい人々。箱舟でジュンサイ(注1)を摘む風情は夏の風物詩であり、近年電波に乗り報 […]
/ 最終更新日時 : eco001 郵便・電話裏磐梯の郵便電話ことはじめ 阿部 國男(久仁於) 裏磐梯の郵便局のはじめては、明治開化のころ桧原本村からでした。明治七(一八七四)年十二月に穴沢嘉久満氏が初代局長となり檜原郵便取扱所(のちに桧原郵便局)(注1)が開業されました。それから時代は下っ […]
/ 最終更新日時 : eco001 開拓時代戦後の曽原の発展(曽原開拓のころ) 北塩原村郷土史研究会報『峠のみち』第8号(H6発行)に「ある開拓者のあゆみ」という記事が掲載されています。本文には昭和27年から曽原分校の教員として勤務された阿部國男氏による当時の回想が記されていますが、それとは別に、 […]
/ 最終更新日時 : eco001 『裏磐梯』復刻『裏磐梯』国立公園指定五十周年記念誌 著者:阿部 久仁於ほか(北塩原村を考える会) 磐梯山噴火からの復興 | pdf 国立公園指定の頃の生活 | pdf 解説/『裏磐梯』について
/ 最終更新日時 : eco001 『裏磐梯』復刻『裏磐梯』執筆の波紋 『裏磐梯~国立公園指定50周年記念誌~』の出版に至る経緯は『峠のみち』第16号に詳細に記されています。阿部久仁於さんによる記事は、文章の書き方指南や刊行後三か月の間に寄せられた7名の読者の方々の感想文などを含む長大なもの […]